日別アーカイブ: 2021年6月25日

6月議会の質問です

今回は、以下、3点の質問をしました。

長文に過ぎると不評につき、全文はせず要点のみを掲載します。

それでも長いという方・・・㊀の久原房之助翁に関わる部分だ

けでもお目通しください。

㊀久原房之助翁を取り上げたい。

今回、久原房之助と鮎川義介をテーマにしたテレビ放映を機会に、

再々再度古川薫著「惑星が行く」を読んで新たに本市に関わりの

深い二つの学ぶべき視点を発見した。ひとつは、巨大経営者久原

房之助を偉人として学ぶことに加えて、その経営理念を下支えし

て実践した技術陣の存在に目を向ける必要はないかという点。

秋田県小坂鉱山での銅の精錬法の開発、日鉱日立工場での発電所

や電動機械製造事業、155メートルの公害防止用の煙突の建設、

これらに代表される技術者陣の躍動・・・翁の手掛けた工場では、

日本で初めて開発した、初めて対応したと事例がどれだけあった

だろうか。それらのなかには、はまさに〝坂の上の雲〟をつかも

うとした明治の若者群像がみえてくる。そして、翁が生み出した

技術陣の象徴としての存在が、日本の近代化の礎となった日立製

作所の創始者「電気のパイオニア・小平浪平」といえる。

そこで下松工業高校である。今回の質問では100年前、創立時

の意気込みや高ぶりを偲んで、敢えて山工と呼ばせていただくが、

この山工は山口県には当時なかったエンジニア養成所としての意

義つけをもって1921年に創設された。

何度か紹介したが、何代か前の日銀支店長は『山口県の重工業の

発展は地元の工業高校出身のエンジニアの存在抜きには語れない』

と発言しているが、山工卒業生はまさにそのパイオニアとしての、

代表選手としての、役割を果たしてきた。

翁は下松進出を断念したお詫びとして、この技術者養成機関に最

も多額である33万円寄付を行った。寄付の対象はたくさんあっ

たはずであったが、技術者養成学校を創ることにこだわったので

ある。そして、山工は翁の技術者重視の思惑通りの成果をだして

きたのである。

以上・・・市民はそして行政は、もう一度下松工業高校100年

の価値に向きあう必要はないかと問いかけたい。

気づかされたもうひとつ、翁のその時代に稀有な経営理念から。

最初の秋田県小坂町では「鉱山ユートピア」を標榜した。日立市

では「一山一家思想」を社内に訴えた。そして、それらの帰結す

るところである本市において、市内に運河を掘り、上下水道を整

え、チンチン電車を走らせ、劇場や娯楽場を設置する→このよう

な人口18万人の〝理想工業都市〟を設計していたことは知られ

るとおりである。

私は、以前の質問で『翁の構想が計画どおり実現していたら、本

市はどんな街になっていたのかと、未練がましい思いにふける』

と述べたが、今回よくよく考えてみた。

翁の鉄鋼都市構想は挫折したが、買収した土地は有効な工場用地

として、(以下敬称略)日立製作所を呼び、東洋鋼鈑、日本石油、

笠戸ドッグ、さらに中国電力の発電所が進出してきて、本市はモ

ノづくりの街となった。そして、その60年後、日石タンクの跡

地には西友が出店してきて商業の街という要素も加わった。いず

れも翁の土地買収がなければ生まれなかった事業である。

本の283ページにこのような記述がある。

大計画中止の反動は大きく、まず土地取得について、房之介はた

ちまち悪人にされた。買戻し訴訟を起こす元地主がいてその対応

に追われたが、断じて応じなかった。

もし応じていたら、土地は分断され、工場誘致にはつながること

はなかった。

結果、日立や鋼鈑、日石、ドッグ、中電、西友とその関連の事業

所群・・・100年間に、これら基幹企業とそのグループに一体

何人の従業員が勤め、そして何人の家族が生活し、こどもを育て

てきたか。また、企業とその従業員が本市に納めてきた税金はい

くらぐらいに積み重なるか。

本市は21年都市データーパックの住みよさランキング10位が

示す通り、全国指折りの住みやすい街である。個人の一人当たり

所得が県内一番、個人市民税はこの5年間で10%以上の増加を

みせている、市民一人当たりの地方税収は全国130位と田舎で

は信じられない法人、個人のバランスの良さ、自主財源比率全国

186位という、つまり地方交付税という理不尽なほどこしに頼

らない財政状況・・・。本市は大規模経済圏でもない(たとえば

東京圏、トヨタ圏、大阪圏)、衛星都市でもない(広島も福岡市

にも縁のない)、そして、沖縄や岩国のように、自衛隊も米軍も

いない、そして、原子力発電所もない・・・そんな地方の小都市

がこのような理想郷に成熟した。そのことを数値で証明したのが、

住みよさランキング10位という結果ではないか。

私は改めて訴える。翁が断念した「理想工業都市の夢」は果たし

て破綻したのか。否、理想郷とまではいわないが、ここ100年、

翁の思いをしっかりと継承して、翁の思惑にそったすばらしい街

に結実してきたのではないか。そのように考え直したということ

である。

以上のような要素をもとに、下松工業高校100周年を迎えるこ

の時期に、久原房之助翁の功績をひろく市民に知らしめる、そし

て〝くだまつ愛〟醸成のための、ひとつのツールとする。さらに

翁の足跡をたどることで小坂町や日立市と連携して大河ドラマ化

や教育、商業面での交流を進めていくという考え方はないか問い

かける。

併せて、今回の住みよさランキングトップ10に関して。

これを市民に周知すること、さらに祝賀の催しを開くつもりはな

いか、お訊きしたい。市民に周知することにおいては、日刊新周

南紙が取り上げてくれたことで、市民の周知があがってきても、

その10位の価値について理解が進んでいるだろうか。また、昔

なら〝ちょうちん行列〟をしてお祝いするできごとだと表現した

先輩がいたが、市民の記憶に残る何かの行事が必要ではないか。

これらは市民の〝くだまつ愛〟の醸成に資すると考えるが如何か。

㊁42,19%という県内2位の低率次回市議会議員選挙の投票

率に関して、別紙A表のとおり要因分析をしてみた。他市からの

移入者が多い、選挙に距離を置く若者比率が高い、選挙への理解

度が高い年配者の比率が低い、立候補者少なく盛り上がりに欠け

る・・・その他いずれをとっても投票率が上がるという要素がな

い。今回初めて取組む「選挙公報」の効果を見極める必要がある

が、次回40%割れという事態が生じたら、

➊選挙公報配布を自治会頼みにせずにより行き渡る手法を考える

❷高齢者向けにタクシー利用補助や移動選挙車等の対応をとる

❸期日前投票所を3ケ所に増やす

❹それによって増加する費用は、投票日の投票時間を現行の午

 後8時までを6時までに短縮することでまかなう

・・・等の対応を考えて欲しい。

㊂別紙B表の20年度新規住宅着工件数414件という数字は、

➊過去10年間の推移をみると、11年度から右肩上がりで増

 えてきたものが18年度にピークアウトしている

❷しかし、20年度は10年前の11392件と同じレベル戻

 ってきている

❸着工種類の内訳をみると、持ち家はほぼ同レベルになってい

 るが、貸家の落ち込みが大きい

というような状況になっている。

以上から気になることが3件、

➊住宅着工件数はピークアウトしたとみるべきなのか

❷貸家の件数が激減状況にあるが今後の推移をどうみるか

❸分譲住宅は21年度は65件の実績になっているが、現在の

 ところマンション建設の予定が聞こえてこない。有効土地が

 ないのか、需要がないのか

業者に問い合わせてみると、

➊下松市が周南全域における住宅地としてのニーズは従前と変

 わらず高い

❷しかしながら、まとまった住宅用地がない。また、地主側に

 不用土地の売却意思が低い

❸貸家のニーズはあるものの、金融機関の融資の消極姿勢が影

 響している

と共通した答えが返ってきた。

一方、そこで21年に入ってからの人口増減であるが、B表12

の1~5月の人口移動推移をみると、出生数はコロナ減少が顕著、

学生が出入りする3月から5月の社会増減は昨年比大幅減という

状況で、5月末の人口57245人はピーク時昨年2月比較では、

124人減少をみている。人口はピーアウトして減少トレンドに

入ってきているといえる。

市内の住宅建設環境の向上のための施策は必要ないのか、行政の

方からは業者まかせにして、このまま何もしないで待つことで街

の活性化が図れるのか、現状の税収が確保できるのか、現在考えて

いる施策を教えていただきたい。

以上・・・お疲れ様でした。