12月議会で「2万人規模のふるさと応援団」について質問しました・・・面白いけど長いのでお好きな方だけお読みください。

再度「ふるさと応援団」創設に関するの質問をします。ただし、3年前は1000人規模でありましたが、今回は2万人規模としました。もちろん、数の多さが組織のパワーになるということですが、会員募集や会の展開にSNSを介在させることで自信がでてきたということもあります。

最初に広報潮騒のなかの「おーいふるさと」の記事を、5件引用させていただきます。                                   ①転勤族で3年半下松市に住みました。住んでいてとても楽しかった。下松のこと  を忘れたことは一度もありません。今だって帰りたくて、帰りたくてたまりません②埼玉在住の男性…下松を離れて半世紀以上、古希も越えました。少年期のワクワク感や輝きはもう二度と触れることができません。そんな記憶の心情が故郷を懐かしむ気持ちに繋がっていくのでしょう。下松は人口も増え新しい展望も開けていると聞いて幸いですね                           ③2回下松に住んだという福岡の方。笠戸の青い海や切戸川の桜、恋路のコスモス。地域や仕事を通じてたくさんの人と知り合いました。今も下松の防災メールは登録したままです                             ④数年前から下松市が住みよさランキングで上位に入っていると聞くようになりました。主婦目線になって気づいたのですが、下松は様々な点で本当に住みやすい素敵な街だと思います-大学進学を機に下松を離れて15年という主婦です    東京在の若い方…仕事の行きかえりに下松で作られた電車にのることがあります。たくさんのお客さんを乗せて頑張っている姿をみて、自分も元気をもらっています

このような、                               ①自らも下松市出身で親や兄弟が今も下松市に住んでいる人          ②市内に空き家や墓を持つ人、資産を持つ人                    ③何年間か下松市で過ごしたことのある人…日立や鋼鈑にいて何年間住んだ人、その子                                   ④自分は住んだことがないが、親の故郷が下松市である人           さらに加えて                                                             ⑤ふるさと納税を下松市にした人、下松市が好きな人             ⑥本籍地が下松市である人、親兄弟が今も下松に住んでいる人         ⑦転勤族で一時的に住んでいた人                      ⑧親の故郷が下松市である人                       ・・・そんな下松市に縁のある下松関係人、私は、全国に最低7万人はいると踏んでいますが、そのうち下松をふるさとと懐かしむ方=下松ふるさと人、その下松ふるさと人を2万人規模で組織化しようという構想であります。

このふるさと応援団を(1)単に情報交換の接点つくりでなく、(2)現在の市の課題のいくつかに対応することができる、(3)賑わいを創造し、さらに商売機会を増やし、無から有を呼ぶことができる、そして(4)会員と下松市がウインウインの関係になることができる・・・そのような組織にできないでしょうか。

以下、会員が市に望むこと、市が会員に望むことを列挙します。皆様により理解を得やすいように“こんなことができそうだ”という想定を物語風に表現することをご容赦願いたいと思います。

1.会員の資産管理に協力する

その1

父母が死に空き家になって5年がたつ。家には両親の遺品や生活物が山積になっている。出張の途中に寄って、風を通すこともあるがそれも1年に2、3回でしかない。なんとかしなくてはと思いながら忙しさにかまけて5年が経過した。将来帰郷して自分が住むことも考えて、当面、家の周囲を掃除したり、伸びきった庭木を切ったり、破損した個所を修理したり、部屋に時折風を入れるような作業をしてくれるホームキーピングのような方を、それも親戚に頼むような気安さで信頼できる方を紹介いただけないか。 

その2

故郷に山をもっている。父の死後は間伐もしておらずに下刈りもしていない。そもそも隣接者との境界も不確かである。山林への対応は当面差し迫った事柄でないので何年も放置してきたが、自分自身の寿命が限られてきた。このままの状況で何の認識もない息子に相続しても負担が大きい。森林組合や専門業者に相談したい。仲介して欲しい。

その3

我が家に新仏ができた。故郷の下松市に墓を建てたいが頼る人がいない。市内の墓地の価格水準を教えて欲しい、また、信頼できる墓石の業者を教えて欲しい。

このように家や山に加えて墓地の管理もありましょう。できれば盆正月や彼岸の日には仏壇やお墓に花をささげたいと思う方もいらっしゃるでありましょう。このふるさと応援団通信を通じて、行政が会員とハウスキーピング的な会社を中継ぎすることができないでしょうか。                        空き家の見回り、修理、風通し、草刈り等の作業を請け入れる会社が周南市にあります。この会社のように組織的にやっている会社は全国的にもあまり例がないと聞きます。この事業は周南市のふるさと納税の返礼品にもなっているそうです。   現在、ほぼ周南市民だけを対象に450人規模の契約になっているとのことです。 このハウスキーピング的仕組みのニーズは大きいと思いますが。  

2.Uターン希望に応える

その1

下松を離れて25年になる。諸事情があって下松に帰りたい。問題は勤め先があるかどうかという点。可能ならばふるさと応援団通信で職安の求職情報を掲載いただけないか。聞けば下松港にバルクターミナルができるという。新規募集情報を教えて欲しい。また、こんな形で会員のUターン就職をする流れが円滑にいくように、企業側との接点つくりをお願いできないだろうか。 

その2

孫娘が高校進学にあたって長男から「親父の故郷下松の高校に通わせることができないか」と相談があった。聞けば島根県の高校で「ふるさと留学」のような仕組みがあると聞いた。娘の事情からしてこの街を離れて別の地域で高校に行かせたい。下松市に関りがないか…そんな話であった。今では下松には親しく頼れる親戚、知り合いがない。しかし、下松市の人情は信頼できる。応援団を通じて孫娘が安心して高校生活が送れるようなシステムができないものか。検討いただきたい。

 

その3

娘は一度も下松に住んだことはない。25才になるが今のところ良縁に恵まれていない。私は自分と妻の故郷である下松に相手が見つけられないかと思っていたが、応援団通信で役所が主体になって婚活の活動をされていると知った。是非、次回開催の詳細を教えて欲しい。娘自身も父と母が育った、下松と下松人に特別の親しみを感じている。 

内閣府のアンケートによれば潜在的に“田舎暮らし”を希望している比率は40%もあるといいます。ましてや『志を果たしていつの日にか帰らん』と事情が許せばふるさと下松に住みたいと思っている比率は相当なウエイトになりませんか。   しかし、そう簡単に事情が許さない。住み家であったり仕事であったり、それ以外にも様々な壁があるでしょう。行政がそんな壁のいくらかを排除する仲介ができないものか。行政が完全排除する役割ができなくとも、市内業者を紹介する役割は可能であろうと思いませんか。

3.ふるさとへの寄付、貢献をお願いする

その1

私は父の仕事関係で高校までを下松で過ごしたが、近県に移住して今は下松に何の依りどころもない。時折利用する新幹線の車窓で、花岡八幡宮あたりを身を乗り出して眺めるだけがせめてもの慰めであった。応援団通信で「さくらの記念植樹」の誘いがあった。応募したい。そしてこれからはその桜の成長を確かめに時折訪問したいと思う。

その2

父親の故郷下松市に住んだことはない。父が死んで10年、祖父母も亡くなっており、今日では下松のことを想い出す機会はほとんどなかった。応援団通信は私と下松をつなぐ唯一の接点になっている。この応援団通信で栽培漁業センターがリューアルされると知った。食育に、漁業振興に価値が高い施設と受け止めた。これまで「ふるさと納税」をしたことがなかったが、今回はこのセンターの建設費の足しになればと思って寄付をしたい。そんな気持ちを受けていただけるだろうか。もちろん返礼品は無用である。

本会の結成目的のなかで幅広い援助をいただくということを求めたい。一人の子供が母親の腹の中に宿ってから、誕生、保育園から高校卒業まで18年余り、この間の行政の負担の合計額はいくらぐらいなりましょうか…(質問しましたが「この間の費用は算定不能」というものでありました)。そのことに思いをいたす機会は、私自身も含めて余りないのではないでしょうか。応援団通信をもって、会員にやわらかくこのことを認識していただくことはできないでしょうか。そうしてふるさと納税の仕組みに誘導できないものでしょうか。

4.会員を通じて観光誘致を図る

その1

私は「下工」卒業後、名古屋の機械メーカーに勤務している。会社の同僚に走るのが好きな人がいる。応援団通信で「笠戸島トレイルラン」の参加募集があった。同僚に話すと興味を示したので“笠戸島は宝の島”というふるさと応援団通信のコピーを示してかしい笠戸島の思い出を話したら「ぜひ参加したい」と目を輝かした。 

世の中に趣味のサークル、流派はどのくらいあるでしょうか。茶道、華道、日本舞踊にハワイアン、俳句や短歌、琴や三味線、尺八にしちりき、縦笛に横笛、空手に太極拳。さらに、自民党、共産党、連合、日教組、また、鉄鋼、港湾、運輸などの業界団体…これらのサークルや団体の全国大会、中国地方集会等は1年で1度はどこかで必ず開催されています。                       会員の中で、そんな大会、集会の場所選定に関われる立場の方が何人かおられるのではないでしょうか。応援団を通じてPRすればこれまでのルートでない観光客の誘致が可能になりませんか。                         

5.会員の持つ技能の活用する

その1

私は東京で医療コンサルタントをしている。下松市民で先端医療受診の希望があれば相談に応じたい。高校まで教育を受けた下松市に対して、また、両親が長期にわたり医療、介護という面で負担をかけたとことに恩返ししたい。自分の得意分野で恩返しできたらということは永年考えてきた。応援団の仕組みを介してこの私の思いを実現できないか。

その2

私は鳥取に住む農業の専門家である。ハウス栽培に永年関わってきて、鳥取県内の各地に技術指導をしてきた。応援団通信により農業公園やブルーベリハウスの写真をみたが、少し気になってアドバイスしたいことがある。ふるさと下松のために手弁当でお役に立ちたいという気持ちもある。市の方で仲介いただけないか。

ここでは医療と農業の2例をあげましたが、下松市出身者の中にはその道の権威者が何人もおられるはず…彼らは自らのノウハウを恩ある故郷に生かせる機会があれば喜んでという気持ちがあるのではないでしょうか。             判りやすい例では、食育に関する講演、指導を何度も実施していただいている中村丁次様、バルクターミナル誘致にひとかたならぬ貢献をいただいた金近様がおられます。                                  会社経営者に下松出身者枠をつくってもらいないか。前述の団体の行事場所の決定に関われる人、スポーツ大会を誘導できる人も含めて、下松市に全国ルートで応援いただけるいわば有力者、そんな下松ふるさと人の名簿は作成できているのでしょうか(質問では名簿はないということでした)。応援団を通じて、会員の技術や立場、人間関係を生かすことができないでしょうか。

6.会員との商売機会を創造する

その1

自分が経営している機械部品の販売拠点が山口県にない。下松市内に代理店を求めたい。当社の商品が特に下松だけに適しているわけではないが、私のような下松出身者が東京に出て30年をかけてこのような商品を作っていることを知って欲しいとの思いもある。

その2

下松の山奥でしいたけを栽培している。他所で作ったものと大差があるわけではない。しかし、故郷の水と故郷を照らす太陽と故郷の空気をすった雑木でできた農業商品である。下松ふるさと人にうけないはずはない。応援団通信に載せてPRして欲しい。下松を離れた父親が、食卓で子ども達に向かってふるさとでできた「なば」だよと自慢している場面を想像することは楽しい。

知らせてくれれば中元、歳暮や、結婚式の引き出物等に自分のふるさとの商品を使いたいというニーズはあるのではないですか。また、5万7千人の人口と周辺市町も含めた周南コンビーナートの存在という背景に魅力を感じる商売人の会員は相当いるのではないですか。                          工場誘致にまでいきつくことはレアーケースであっても、商売人にとってどんな形でも接点機会が増えることは宝になると思うのですが。

7.会員に地元出身者の応援を依頼する

その1

自分は花岡スポーツ少年団でバドミントンをやっていた。応援団通信でアクト西京というバドミントンチームがSJリーグという一部リーグで活躍していると聞き驚いた。下松市とは地域活性化包括連携協定を結んでおり、市内のスポーツ活性化に貢献しているらしい。自分の住む名古屋で試合があればぜひ応援にいきたい。日程を常時知らせて欲しい。 

アクト西京だけでなく、市民報潮騒には「がんばっている人」と銘打って中央で活躍している下松出身者を紹介している。この応援団からの発信が地元から中央へ、その人がメジャーになるための後押しにならないでしょうか。

最近、「シビックプライド」という言葉を知りました。「市民の誇り」ということでしょう。知った経緯を述べます。                                         

視察で住みよさランキング5位の石川県野々市市に行った      。野々市市は昭和40年から果断なく区画整理を進めていること、PFI方式で既に3件の設備投資を行っていること等、柔軟で新鮮な取り組みをつづけている。「ワクワクが止まらない」という市のキャッチコピーとおりの街であった。同僚議員は『職員の高い改革の意識』と表現され評価されていたが、今回、訪問した総務教育員会の5人までが取り上げた小さく感動した街であった。当市の企画課長に電話で「ほかにも誇れることはありませんか」と問いかけたところ、市民には強い郷土愛がある、課長のことばでは「シビックプライド」がある   自分たちが街をつくり、動かしている自負がある…というのである。そして、そのシビックプライドは野々市市がどこの街とも合併しないで独立独歩を貫いたことにあるというのである。

ひるがえって…我が下松市も合併しなかった街、他市に優るものはたくさんありましょう。確かに当市が劣っていることもたくさんあります。手を打たないといけない課題もたくさんあると思います。しかし、「下松市のストロングポイントは何なのか」…それを考えるか考えないかで次の手が違ってくるということはありませんか。そこで、少し外れるが、当市のシビックプライド何かを考えてみたい。いくつか述べます。                                      ①気候が温暖で治安が良い…平成になって殺人事件ゼロ。           ②誰もが認める風光明媚。                         ③誰もが認めるコンパクトで利便性の高さ。                 ④潮騒に何度もでてくる人情・・・人が良いということは他所からの移住者が特別 認識。                                  さらに、これは周囲に威張っても良いと強調したいことを2点。        ⑤人口が増えていること。20ケ月連続で増え続けており、この間の増加数881人。こんな街はそうそうないと思われないか。                ⑥下松市の住みよさランキングが西国(中国、四国、九州の210市)の中で一番である。同様、財政力指数は福岡市、鳥栖市に続く高水準にある。世の中に「地方交付税不交付団体 」というものが75市町村あるが、ほぼ首都圏と東海地区だけに限定されており、西国の市はひとつもない。国は昭和30年代の終わりごろから、「新産業都市」や「工業立地特別地域」等を全国に指定して企業の分散を図ってきたのであろうが、今日では繁栄している街は首都圏と東海に集中してしまって、産業地盤の弱い西国の都市が浮揚するのはまことに難しい。住み良さランキングの順位や財政力指数、地方交付税不交付団体のバラツキはこの産業立地の不均衡を明示していないか。そんな中で・・・当市は西国同規模の街と比べると財政力指数が圧倒的に高く、地方交付税の交付額が圧倒的に少ない。それは、市民税の豊富さや、人件費の圧縮の成果が示するように、市民の力、企業の力、行政の力の3つが融合している結果ではないか。これは誇れないか。

私は当市の強み、当市のシビックプライドは何かを市民に認識してもらいたいと思う。そのためには、行政側から強みを認識してもらうための投げかけ、醸成努力が必要にならないか。                                                       

話しは下松ふるさと人に戻します。                     故郷を離れた下松ふるさと人にも、ふるさとを離れて何年経過しても「シビックプライド」は脈々と残っていると思います。最初に取り上げた「おーい下松」の記事にその思いがあふれてはいませんか。むしろ、他の市町に住み、その街と下松市を比較する中で、シビックプライドがより強烈になるのではないかと考えるのです。

下松ふるさと人に住みよい街づくりに参加していただこうではありませんか。

 

組織の運用に関して、2万人を集めるための募集方策についてのみ触れます。  案をいくつか話しますが、実行に移すとしたら障害も多いことと思います。できない理由を並べずにどうにかできる形を作ろうと知恵を出して欲しいと思います。 ①は過去実施したような市の主催のフェアーにおいて募集する                                      ②市のホームページで募集する                                                   ③東京、大阪等で行われる県人会や中学、高校同窓会に募集を依頼するか職員を派遣する                                  ④下松市から他市に転出する際に・・・転出届の際に書いてもらう              ⑤企業を通じてお願いする・・・現在下松にいる転勤族の方に、かつて下松に勤務したことのある方に                                                       ⑥高校のOB会組織に募集を依頼する                             ⑦下松市に本籍があって他所に住む人に手紙で依頼する                                           ⑧下松人以外で下松市に固定資産税を払っている人に手紙で依頼する                           ⑨職員や市に関係する人々、市会議員や職員OB、これだけで1000人以上になろうから一人何人という形で紹介運動をする・・・たとえば一人20人なら2万人になる                                                             ⑩入会者には5000円の市内限定利用商品券を渡す・・・下松市に帰って使って欲しいとの思いを込めて                                                                                        できない理由を後回しにすれば、まだまだアイデアはでてくると思います。2万人の募集は雲をつかむ話ではありません。

 

最後に先日の童謡フェスタで聴いた市制50周年でできた山上路夫作詞の「潮騒と星のまち」の歌詞を紹介します。

幼い頃から瀬戸内の海    ながめて育ったあなたならば             遠くの町でも日ぐれ時など  想いだすでしょうふるさとを          さざなみ白く緑かがやき   夜空にひろがる星の唄

2番                                   港は夕映え瀬戸内の海    夕日が落ちてく笠戸島よ            今でも同じに愛があるなら  いつか帰ってふるさとに            石段のぼり二人ながめた   夜空にかかった天の河   そして・・     潮騒の町はあなたを待つ   星降る町はあなたを呼ぶの         ・・・を繰り返しています。

潮騒の町はあなたを待つ、星降る町はあなたを呼ぶのです。この歌のとおり、下松市は下松ふるさと人の郷土を思う心情を待っているのではないですか。

この歌ができてから30年間、行政はこの歌に寄り添うような施策をどう打ってきたのでしは一度もありません。今だって帰りたくて、帰りたくてたまりません。