下松市は『日本一住みやすい街』になっているのかもしれません

9月議会での一般質問の要旨です。
ひとつは映画「恋」の東京上演を通じて再度『1000人規模のふるさと応援団』の創設を提案しています。ふたつめは東京経済が発表した「住みよさランキング」の15年版において813の市区の中で当市が20位にランクされたことについて「下松市は実質的に日本一になったのではないか」と各指標を分析しながら私なりの主張をしております。
ご一読をお願いしますが、特に添付の資料『都市データー』をご一覧いただければと思います。

 

1.映画「恋」の東京上演について
6月12日に東京新宿で行われた映画「恋」の東京上演に参加しました。その際受けた強烈な印象を述べたいと思います。
昼と夕方の2回上演でしたが、昼の部が終わった後、観客がロビーに溢れていました。殊に市長の周りには2重3重の人垣ができておりました。大半は下松市出身で東京近辺にお住まいの方々と思われましたが、皆笑顔で語り合っておられ帰ろうとされない・・・少し誇張して言うと皆様は興奮しておられたように私は受け止めました。 なぜ観客の皆様は興奮したのか、なぜ帰ろうとしなかったか。
私なりに考えた理由のひとつは、映画で故郷の懐かしい、各人がそれぞれ思い出を持つ、あちらこちらの風景に接しってノスタルジアが沸きあがったのではないかということ、興奮した理由のふたつめは、映画でそして市長の挨拶などで下松市の現在の繁栄、勢いというものを実感されたのではないかといことです。このことがロビーの興奮に結びついたのではないかと受け止めたのです。
そこで・・・このような故郷を離れた下松出身者の興奮を見せ付けられたとき、私はこの方々を組織化して、今後の当市の様々な取組みに対して応援をいただくことを考えました。
たとえば・・・ふるさと納税に参加してもらう、新築の大城に泊まりにきていただく、また大城を周囲にPRしてもらう、地元の地産物を買ってもらう、さらに、Uターンを促し、Iターンを紹介していただく、ご子息やお孫さんを「我がふるさと発見ツアー」と下松市里帰り旅行を企画する・・・まだまだいくつもあるでしょうが、これらは昨年12月に私が行った一般質問『1000人規模のふるさと応援団の創設を』の再提案であります。是非市が率先して組織化を進めて欲しいと思います。
8月20日に地元と関わり深い人にサービスをするという「ふるさと住民票」の創設の報道がありました。これに関して読売新聞の読者投稿欄に出ていたものを紹介します。
全国の8市町村が「ふるさと住民票」と名づけた制度を創設すると聞き興味を持っもった。各自治体がふるさと納税を行った人などが、住民票がなくても行事案内や行政サービスを受けたりするものだそうだ。私も本籍を古里から移してしまい、つながりを絶たれたようで寂しさを感じてきたが、この制度は古里とのつながりを持ち続けることができる斬新なものだと思う。生まれ故郷を離れ都会で生活している人は多いが、みんな古里に格別の思いがある。ぜひこの制度が広がって欲しい。
・・・福岡県の52歳の男性のものですが、故郷に関わりを持ちたいという心情が率直に顕れていると思われませんか。
ふるさと住民票はさておき…私は別の提案をしたいと思います。市が盆や正月の帰省の機会を捉まえて50才を迎える同年齢会を企画する、成人式で一度集まった同級生が50才でもう一度集まるというものです。会の名前は『知命式』ではどうでしょうか。よくは理解してはいませんが、論語の「50にして天命を知る」の「知命」からの引用です。50才といえば、自分の行く末がいくらか判りかける時期でありましょう。また、親は徐々に弱ってくる、子供達は独立していく・・そんな時期でもありましょう。天命を知るかどうかはともかく、残りの人生に向かっての設計をやり直す時期でありましょう。この時期に「知命式」に集まり、ふるさと下松市と接点をもつことで、さきほどのUターンや「ふるさと納税」等へ展開ができるきっかけつくりにならないでしょうか。
日本創生会議は6月『このままでは首都圏では「介護難民」状況になる。高度成長期に東京へでてきた人たちが故郷に帰り、自らの経験や知識を地域で活用させることだ』と提言しています。ふるさと応援団、ふるさと住民票、知命式・・・いずれも下松出身者に対して何らかの仕掛けをすることが、そしてそんな組織を作ることが何か次ぎのステップ、ステージにつながらないでしょうか。
そんなことを本気で思っているわけは・・・私はあの東京での興奮というかパワーを忘れられないのであります。

 

2.住みよさランキング20位について
東洋経済新報社発行の「都市データーパック15年版」で、下松市は住みよさランキングは20位となりました。一昨年17位、昨年22位と安定していること、西国(中、四国、九州)では引き続きナンバー1ということで、嬉しい限りであります。この住みよさランキングは安心度、利便度、快適度、富裕度、住居水準充実度の5つの大枠のもと15の指標で総合評価するものです。データーバンクに表示されている数字をみると、当市の安定度、繁栄度、健全度があちらこちらに顕れていて誇らしく感じます(別紙に指標の一部を掲載しています) 。
ただし、ここで採用されている15の指標が絶対的に住みよさに直結するとは言いがたいと思っています。このうち、下松市の順位を引き下げる、足を引っ張っている、いわば不良項目を見てみると、必ずしも問題がある、対応策が必要だと断定できないものもあります(たとえば老健+特養の充足度は全国689位と最低レベルですが、周辺市との連携も含めて差し迫った問題になっていません)。もう少し言えば、その評価はおかしい、その評価には別の見方がありはしないか、一義的にはその評価は正しいが、そのことは別の仕組みでカバーできていないか、(たとえば持家比率、これは全国531位と低レベルですが若者移住によるアパートの増加からしてむしろ歓迎できる状況とプラス評価できるもの)・・・そんな思いが沸きあがってきます。
そのような観点でアプローチをしてみた結果・・・下松市総合計画は「住みよさ日本一星のふるさと」と銘打たれていますが、全体の仕組みをしっかり把握していない私が言うのは大胆かもしれない、楽観にすぎるかもしれませんが、当市はこの3年17位、22位、20位の安定したランキングを確保したなかで、既に日本一の住みよい街になっているのではないかと結論付けたく思っているのです。
この「住みよさランキング」のなかで一番強調したいのは「利便度」の高さであります。なんと全国7位のランクなのであります。これは単に市民の買い物が便利というだけでなく、周囲から人を呼べる要素があることが当市の最大の強みになっていることを示していると思うのです。二番目は市の「財政健全度」が山口県内では一番良好なこと。行制改革と緊縮財政の効果がストレートに示されています。三番目は「出生率」の高さです。若い夫婦が子供を作ろうとする意志を支える環境や施策が整っていることの裏返しだと考えます。
この『住みよさがもたせたものものとして』という証明数値として人口の増加をあげたいと思います。県内で唯一人口が増加していることを示す資料はたくさんありますが、ここではこの都市データーバックの中での興味深い数値で示したいと思います。2007年(今から8年前)のデーターパックに人口問題研究所が05年の国勢調査をもとに行った20年の推定人口が掲載されています(別紙A-②-1を参照)。ここでは20年には05年より3300人減少すると推定しています。しかし、7年後の14年では、逆にこの9年間で約2600人増加していることになり、この時点での推定人口との差は約6000人になっています。05年以降他所より当市に移入する、家を建てたりアパートに住んだりした人口が予想を大きく上回ったということでありましょう。しかし、当地に9年前では予知できなかった大きい変動があったわけではありません。たとえば、何か大きい工場が進出してきたわけではないのです。なぜこんなに大幅な見込み違いが起こったのだろうか・・・これこそがここ数年、当市が取り組んできた施策の成果が凝縮して顕在化しているといえるのではないでしょうか。
市民アンケートをみると「下松市の魅力、満足度」においての総合評価で「満足、まあ満足、普通」の合計が91.7%になっています。また「下松市の永住希望」においては、「いつまでも住み続けたい」46.9%、「できればすみ続けたい」35.0%、合計約82%です。一方、「できれば他に移りたいと住みたくない」の合計は3%をきっている・・・他市と比較するすべがありませんが、こんな街がたくさんあるでしょうか。
最後に、私がこの面で最も注目していることを紹介したいと思います。ランキング指標ではありませんが「市民ひとり当たりの歳出額」という項目があります。(別紙B―18―1)これは全国順位666位と最悪レベルであります。つまり金を使わずに市制を運営してきているので。このことは、現在の国や地方の財政状況を考える時に、むしろプラス評価できるのではあるますまいか。下松市は『将来を見据え、金を使わずに市民に住みよさ環境を提供している』と評価できるのではないでしょうか。また、こうして緊縮財政を貫いたからこそ、国民宿舎大城建て替えや消防庁舎、給食センター等の大型投資が可能になったのでありましょう。
都市データーをつぶさに観てくると・・・様々な指標の裏側にに行制の意図が感じられるのです。